2019年9月25日、鹿児島市吉野町の「仙巌園(せんがんえん)」近くの山林で、野添希望さんの遺体が発見されました。
野添希望さんは、2006年4月(当時17歳)から行方不明となっていました。
また野添希望さんの遺体は1年以内に遺棄され、人為的に埋められたと報じられました。
そこで今回は、鹿児島吉野町の野添希望さんの遺棄事件について、野添希望さんは今までどこで何をしていたのか、また監禁していた犯人は誰なのかについて調べていきたいと思います。
鹿児島市吉野町の「仙巌園」近くで遺体遺棄事件!
鹿児島市吉野町の「仙巌園」近くの山林で、野添希望さんの遺体が発見されました。
事件の概要がこちらです。
鹿児島市吉野町の山中で8月、一部が白骨化した女性の遺体が見つかった事件で、鹿児島中央署は25日、身元が2006年4月から行方が分からなくなっていた野添希望さん=不明当時(17)、鹿児島県志布志市在住=と判明したと発表した。
県警によると、不明当時、県内の高校に通う3年生だった。司法解剖の結果、発見時点で死後1年は経過していないとみられ、死体遺棄事件として捜査している。
野添さんは06年4月6日、同居の家族から家出人捜索願が志布志署に出され、その後、家族には「元気でいる」という趣旨のメールが複数回、届いていたという。
遺体で発見された野添希望さんは、2006年4月に家族から捜索願が出されていました。
しかしその後、野添希望さんから連絡があったものの野添希望さんは見つからず、遺体で発見されました。
違法解剖の結果、死後1年以内と分かり、17歳で行方不明になった野添希望さんは、32歳ごろまではどこかで生きていたことになりますね。
野添希望さんの顔画像!
野添希望さんが遺体で発見されたことで、鹿児島県警では死体遺棄事件として事件を追っています。
そこで公開された、野添希望さんの顔画像がこちらです。
公開された顔写真が、中学の卒業アルバムという事は、野添希望さんはあまり交友関係がなかったのかもしれませんね。
顔写真公開で、犯人特定、事件解明の一歩になることを願います。
野添希望さんはどこで何をしていた?
鹿児島市吉野町の「仙巌園」近くの山林で発見された野添希望さんは、行方不明になり捜索願が出されてから12年もの間、どこかで生きていたことが分かりました。
つまり何者かに誘拐・監禁されていた可能性が高くなりました。
また、野添希望さんは家族に定期的に「元気でいる」との連絡をしていたことも分かり、12年もの間どこで何をしていたのか疑問が残ります。
誘拐された事件についても詳しいことは分かっておらず、犯人が現在もどこかに身を潜んでいると考えると恐ろしいですね。
野添希望が発見された「仙巌園」の場所はどこ?
野添希望さんが白骨化した遺体で発見された、鹿児島市吉野町の「仙巌園(せんがんえん)」近くの山林でした。
場所はこちらになります。
「仙巌園」は、薩摩の殿様と姫君が愛し島津家の庭園で、日本を代表する大名庭園です。
このあたりは、夜には人気が無くなり、近くに住宅などもありません。
野添希望さんの遺体は、「仙巌園」の関係職員が発見したそうです。
野添希望を監禁していた犯人は誰?
野添希望さんの遺体は、死後1年以内ほどしか経っていないことが分かりました。
そのことから、野添希望さんは行方不明になってから12年ほど何者かに監禁されていた可能性があります。
野添希望さんからの連絡はあったものの、「元気でいる」とのメッセージのみで、本人から送られていたかは分かりません。
連絡手段なども遮断され、完全に監禁状態にあった可能性があります。
犯人は現在も明らかになっていない為、違う女性が同様の被害に遭う危険性もあります。
1日でも早く犯人が特定されることを願うばかりですね。
まとめ
今回は、鹿児島吉野町の野添希望さんの遺棄事件について、野添希望さんは今までどこで何をしていたのか、また監禁していた犯人は誰なのかについて紹介させてただきました。
現在、詳細については分かっていないことが多い事件となっています。
死後1年以内とのことで、今回の遺体発見により事件解明がされることを願います。
情報は分かり次第、追記していきたいと思います。
それでは最後までこの記事を読んでいただきましてありがとうございました。